一期一会とは〈茶〉の言葉?あの日の出会いも一期一会!?

目だけ出した美しい女性 絵本発想のヒント
一期一会?

こんにちは、もりのひつじかいです。


一期一会という言葉があります。

うっかりしていると
その言葉の意味を
取り違えてしまったりします。

本当は一期一会ではないことまで
「それは一期一会だね」なんて
言ってしまったりします。

一期一会とは人だけではなく
本のような「もの」との出会いにも
あるのでしょうか?

ひつじかいの場合であれば
インスパイアされるような絵本との
一期一会の出会いとかが・・?


今日はそんな一期一会の意味について
様々な角度から
解き明かしていきたいと思います。

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一期一会という名の食パン?

まずは
かなりの脱線を承知で
こんな話題から・・

世間には、一期一会という名前の
食パンのお店があるそうです。
なんでもそこのお店では
高級食パンを焼いているのだとか。

生涯に一度はおいしい食パンを!

との店主の思いから
この名前がつけられたのだそうです。

でも生涯に一度きりの食パンって
いったいどういうお味なんでしょうか?

食パン

こんな名前が付いていますと
それこそ本当に一度くらいは
食しておかなければと
ついついそういう気持ちになりますよね。

でもなんだか一期一会の意味を
やっぱり取り違えているような
そんな気もしますが・・・


それはさておき
ひつじかいにとって一期一会という言葉は
とても気になる言葉です。

敬愛する絵本の世界にも
一期一会はあると
そう信じているからです。

なんでもこの言葉は
〈茶〉の世界観からきているらしく
なかなかに懐が深そうです。


しかし実際に

一期一会を実践する段になりますと
どんなふうに立ち居振る舞えばいいのか
具体的なイメージがつかみづらいという
妙遠な言葉のひとつでもあります。

 

ひつじかいは時々
テレビで俳優の堺正章さんを見かけると
反射的に
井上順さんを思い浮かべてしまいます。
そうして
はるか昔に順さんと交わした
「握手」のことを思い出すのです。

もしかしたらあれが
一期一会ということではなかったのかと
淡い期待をこめて、往時を
そっと振り返ってみたりするのでした。

「来てくれてありがとう」

それははるか遠い昔
1968年の冬のことです。

長野県・軽井沢といえば
夏の避暑地として知られていますが
冬の厳しい冷え込みを活用した
大規模なスケートリンクがあり
近隣のスケート少年たちの
「あこがれの地」でもありました。

少年らのひそかなお目当ては
毎年都会からやって来る芸能人。
スケートそっちのけで
声援をおくることもしばしばでした。

この年に現れたのは
そのころ全盛だった
グループ・サウンズのひとつ

ザ・スパイダース。

ドラムス:田邊昭知
リードギター:井上孝之(堯之)
サイドギター:かまやつひろし
ベース:加藤充
キーボード:大野克夫
ボーカル:堺正章&井上順

といったそうそうたるメンバー構成。

もっとも当時は
堺さん以外の名前は
ほとんど知りませんでしたが・・。

この年あたりが人気の絶頂で
この日のエンディングは前年のヒット曲
『風が泣いている』。

GOGOGO と最初のステージが終わり
熱狂から覚めた少年らは
リンクへと飛び出して行きました。

ひつじかいも飽きずに周回を重ね
やがて喉の乾きをうるおそうと
休憩用のホールに向かって歩いていた
そのときです。

向こうから
白いパンツを履き
赤いジャケットを羽織った
数人のかっこいいお兄さんたちが
さっそうと歩いてくるのが見えました。

ザ・スパイダースの面々でした。

先頭を歩いているのは
もちろんあの人
リードボーカルの堺正章さんでした。

さらりとした長髪
負けん気の強そうな彫りの深いマスク。

テレビで見て知っている
ザ・スパイダースの
唯一名前だけは知っているあの堺さんと
なんと対面してしまったのです。

 恥ずかしいな・・・

 逃げちゃおうかな・・・

 でもせっかくだから握手したいな・・・

少年の頭の中を
ぐるぐると思いが駆け巡ります。

ところが自分でも意外なことに
直前で肝が座り
握手を求める腕を
堺さんめがけてまっすぐに
伸ばしていたのでした。

しかし次の瞬間

少年の手だけが

むなしく虚空に取り残されました。

堺さんの目には田舎の少年ことなんか
まったく映っていないかのようでした。

GOGOGO と

それこそ風のように通り過ぎて行って
しまったのです。


それはあっという間のできごとだったと
後になって思うのですが
腕を伸ばしたまま
フリーズしていたその少年の手を
そっと握ってくれるひとがありました。

コンサートのときに
堺さんのとなりで恥ずかしそうに
タンバリンを鳴らしていた
やさしい目をしたお兄さんでした。

来てくれてありがとう

「来てくれてありがとう」
とそのお兄さんは言いました。

あとでその人が
井上順さんだと知りました。

少年はあの日のことを
半世紀たった今でも忘れずにいるのです。

〈茶〉でいう一期一会とは

〈茶〉については
ひつじかいにはウンチクがありませんが
それでも一期一会を独自に解釈すると
概ね次のような意味になるのではないかと
理解しています。

茶

一 一期一会とは
  茶に臨む主人と客双方の意思
  コラボレーションにより創出される
  「場」であり「時」である。

一 一期一会とは
  演劇的手法のひとつである
  「アクシデント」のごとく
  その主旨は〈一回性〉に置かれている。

一 その日の天気・気温・湿度
  風のある無しとその向き力
  華・水・茶・炭・火そして茶釜
  茶せんのキメと茶碗の座り
  菓子の薄皮とその甘味
  障子に差す陽の光いろ角度
  畳の灼け具合縁の減り具合
  さらには主人と客の気分まで
  全てが一期一会の構成要素となる。

とまあ
感覚的に書き出してみましたが
要は-

主人と客とで創造した「場」及び「時」は
生涯にたった一度しか生まれ得ない
再現不能なものなのだから
全身全霊で茶を慈しみ
愉しまなければならない。

とでもなるでしょうか。

ということは
この〈茶〉の哲学に当てはめると
田舎の少年が感銘を受けた「握手」は
偶発による一回性のもではあったが
当事者双方の意思による創造と
呼べるようなものではなかったので
一期一会とまでは言えないということに
なってしまうのでしょうね。(涙!)

一期一会的でもいいじゃない

あなたも
そしてひつじかいも

茶を立てる

毎日〈茶〉を立てるわけではないので
本式?の一期一会に遭遇する機会は
それほど多くはないのかもしれません。

だとするならば
一期一会の意味をふんこつだったいし
一期一会に近いニュアンスのものを含め

〈一期一会的〉と

呼び習わしてもいいのかもしれませんね。

そういう目で
改めて一期一会なる食パンを眺めてみると
あれはあれで
もの凄いパン!なのかもしれません。

 その日の天気気温湿度そして室温
 強力粉砂糖ドライイースト塩バター
 ぬるま湯の量とぬるま湯の温度
 ペストリーボードとその滑り具合
 めん棒とカード・ドレッジの切れ味
 手のひらの乾きと潤いと
 さらにはパン職人のその日の気分
 前日までの残業による疲れ
 明日の彼女とのでデートの約束等等等
 全てが一期一会の構成要素となり

そういう「構成要素」を咀嚼したうえで
焼かれた
一期一会なる食パンなのですから

きっと

生涯に一度しか巡り会えない食パン!
であることに間違いはないのでしょう。

この食パンには再現性はないのです。

パン屋の主人がそこまで考えて
一期一会なる名前を命名していたと
するのならば・・
ひつじかいは完全に脱帽ですね。
黙ってこのブログから立ち去りましょう。

いやいや
ブログ管理者が立ち去るわけには
まいりませんので
「いつか必ず貴店の食パンを購入します」
とだけ約束を申しあげて
〈茶〉をにごしたいと思います。(笑)

ということで
ひつじかいの「握手」の思い出も
めでたく〈一期一会的〉なる体験へと
引きあげられることになりました。

(勝手に決めている!)

半世紀もの間
田舎の少年にインスパイアを与え続けた
「握手」ですからね
これくらいの昇格は
認めて欲しいと思います。

ぼーとしていてはいけない

一期一会に辿り着くことは難しいとしても
一期一会的体験を積み重ねることは
可能ではないかというのが
ひつじかいの意見でありますが
その一期一会的な体験についても
ただぼーとしていては遭遇できないと
そんなふうに感じています。

たんぽぽ


田舎の少年のフリーズを
瞬時に察知した順さんのように
瞬間瞬間を誠実に生きていく
小さな出会いの一つひとつを
包み込むように慈しむように生きていく
そういう心構えがなければ
相手の心にも自分の心にも
響くものが残らないと思うからです。

 

ところでひつじかいは
次の絵本のストーリーを
紡ぎ始めたところです。
子どもたちにとって
あの「順さんの握手」となり得るような
そんな絵本を
つくりたいと思っています。

あなたにも
きっと素敵な一期一会の物語が
おありになることでしょうね。
そんな物語を土台として
あなたらしい
あらたな一期一会の物語を
生み出して欲しいと思います。

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