佐野洋子『うまれてきた子ども』はとてもスピリチュアルな絵本!

マリアとイエスを描いた素朴なカード スピリチュアル
うまれてきた子どもは・・

こんにちは、もりのひつじかいです。

 

今回は
佐野洋子さんの絵本
『うまれてきた子ども』について
この本から受けたひつじかいの印象
&スピリチュアリティなどを中心に
語ってみたいと思います。

 

ただしこの絵本、残念ながら
現在は新品の在庫がありません。
読んでみたい、という人は

重版出来!

となるまで
図書館か中古本でがまんしてください。

あしからず。

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佐野洋子の本質はずばり!スピリチュアリティ

佐野洋子さんの代表作といえば
『100万回生きたねこ』(1977年)
を挙げる人が多いでしょう。

 

そういうひつじかいもご他聞にもれず
この絵本との関わりは濃厚です。
なにしろ2人の子どもたちにせがまれ
100万回ならぬ100回くらいは(笑)
たっぷり読み聞かせをしましたからね。

 

ひつじかいはそのときから
作者の死生観に、スピリチュアリティを
感じていたのですが

佐野洋子作・絵『うまれた子ども』表紙

『うまれてきた子ども』
佐野洋子作・絵/ポプラ社/1990

を読むに及んで
それが確証に変わりました。

 

この絵本には
人の子として「うまれないこと」と
「うまれること」との
境界(トワイライトゾーン)が 

大胆に描かれていると思うのです。

 

佐野洋子という絵本作家の本質は
まさにここにあるのではないかと
ひつじかいは思うようになりました。

このスピリチュアリティこそが
他の追随を許さない
佐野洋子のオリジナリティそのものだと
そう考えるようになったのです。

 

では、前置きはこれくらいにしまして

さっそく

絵本に当たってみることにしましょう。

この絵本の主人公はうまれなかった子ども

この絵本の主人公は
もちろん言うまでもなく
うまれなかった子どもです。

 

なぜうまれなかったのかという

その理由は―

 

うまれたくなかったから

うまれなかった

 

のだと
冒頭でいきなり明かされます。
のっけから作者の死生観が
開示されるという破格の構成です。

 

うまれる、うまれないは
生物学上の問題ではなく
子ども自身が向こうで決めてくるのだと
作者は確信を持っているようです。

赤ちゃんをかごに入れて運ぶコウノトリ。

 

さて
うまれなかった子どもは
宇宙の真ん中あたりで
毎日ぶらぶらしていました。

 

退屈していたのかな?

 

 いいえ
 そもそもうまれなかったのですから
 退屈もなにもありませんね。

 

やがて、うまれなかった子どもは
地球にやってきました。

の こえ、やまこえ、あるいていった。
ライオンが でてきて ウォーと ほえた。こわくなんかない。
カが とんできて さした。かゆくない。
うまれていないから かんけいない。

『うまれてきた子ども』4ページから抜粋

 

そして、うまれなかった子どもは
ついに街までやって来るわけですが
うまれていないものですから
何事に対しても「かんけいない」
という傍観者的な態度で
人々の往来をながめているのでした。

 

ところが旅の途中からついてきた
一匹の犬が
街の女の子のおしりにかみついて
怪我をさせてしまうのです。

 

女の子はべそをかきながら
おうちへと逃げ帰ります。

 

かんけいはないけれど
うまれなかった子どもは
すたすたと
女の子のあとをついていきました。

絵本『うまれた子ども』の見開きから

 

すると女の子のお母さんは
女の子をきれいに洗って
薬をつけて
おしりにペタリと
バンソウコウを貼ってくれるのでした。

うまれなかった子どもは遂にうまれた! でその理由は?

 うまれなかった 子どもは、バンソウコウを ペタリと はりたくなった。
「バンソウコウ バンソウコウ」と、うまれなかった 子どもは さけんだ。
 うまれなかった 子どもは うまれた。
「おかあさ―ん」

『うまれてきた子ども』22ページから抜粋

 

うまれなかった子どもは
急にうまれたくなったのです。

なぜなら―

 

お母さんに

バンソウコウをぺたりと

貼ってもらいたかったから。

 

え?

何?

それが理由だって?

本当に?

本当にそれだけでうまれたくなったの?

 

 はい。

 本当にそれだけで

 うまれたくなったのです。

わんぱくざかりの子ども

 あのー?

 うまれる理由として

 これだけでは不足ですか?

 

理由はこれだけあれば沢山だと
佐野洋子さんは思ったのです。
うまれなかった子どもが
うまれてくるためには
ふつうのバンソウコウを

お母さんにぺたりと貼ってもらえれば
それで充分だと・・

 

この場面こそまさしく
佐野洋子のスピリチュアリティが
存分に発揮されたシーンではないかと
思います。

 

人の子として「うまれないこと」と
「うまれること」との境界は
作者の考え方をなぞれば
「ボーダレス」
ということになるのだと思うのです。

つまり
「うまれないこと」と
「うまれること」とは
ほとんど同義ということですね。

おそらく
この場面を描かんがために
絵本『うまれてきた子ども』は
この世に
うまれてきたのではないでしょうか。

佐野洋子がダメな人はここがダメ!

以上ここまで
絵本作家・佐野洋子さんの
スピリチュアリティについて
駆け足で確認してきました。

 

佐野家は
満州からの引き上げ組ですが
そうした戦後の混乱期の中で
彼女は4歳で三弟(生後33日)を亡くし
9歳のときに四弟(4歳)が
10歳のときに兄(11歳)が
続けて亡くなっています。

 

幼いころから
こういう体験を重ねてきた彼女には
死はずいぶん身近なものとして
捉えられていたのでしょう。

 

そういえば
彼女の最後の著書は
『死ぬ気まんまん』(光文社/2011)
でしたね。

 

がんの余命宣告をうけながらも
タバコを吸いジャガーを購入し
ジュリーに心を
ときめかせていたのだとか。

 

佐野洋子自身が
「うまれてきた子ども」だったのだ
ということが、とてもよくわかる
エピソードだと思います。

 

しかし

佐野洋子がダメな人はここがダメ!

なんでしょうね、きっと。

そういう人には
スピリチュアルとは無縁な絵本から
入門することをおすすめしておきます。

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