『サンタクロースっているんでしょうか?』は絵本ですか?

こんにちは、もりのひつじかいです。

 

お正月が終わり成人の日も過ぎ
大寒とか節分会に向かって
時節が移ろうかという
こんな季節に

 

ひつじかいはまだサンタクロースのことを考えています。

といいいますのも
サンタクロースをモチーフにした
物語を書いてみたいと
前々から思っていたからです。

 

その物語は
少々長くなるかもしれません。

 

ひょっとしたら
何かヒントが得られるかなと思い

サンタクロースっているんでしょうか?

『サンタクロースっているんでしょうか?』
(中村妙子・訳/東逸子・絵/偕成社)

という絵本?を
引っ張り出してみたというわけです。

 

この絵本に書かれているお話しは
120年以上も前の実話です。
でも、ひつじかいが
このエピソードを知ったのは
せいぜい40年くらい前のこと。

それから何年もたたないうちに
本書は全面的に改装(1986年)され
現在のような絵本仕様になりました。

 

あれからずいぶん時間がたちましたので
ひつじかいはこの本のことを
絵本だとばかり思いこんでいたのです。

 

こうしてつくづくながめてみますと、これは絵本ではありませんね。

『サンタクロースっているんでしょうか?』
というこの本は
強いていえばノンフィクションです。
ノンフィクションですから
ノンフィクションとして読むのが
正しい読み方なのかもしれません。

 

では、そんな目でもう一度
読み直してみましょうか。

 

洞察に満ちた辛口の社説

クリスマスを間近にひかえた
ある年のこと。
ニューヨーク・サン新聞社に
8歳の女の子(バージニア)から
一通の手紙が届きました。
その手紙には
こんなことが書かれていました。

 

 

友だちは「サンタなんかいない」
って言うけど
本当のところはどうなのかしら?
サンタクロースっているんでしょうか?

 

 

その新聞社は
これを社説で取りあげることにしました。
本気で
この手紙に向き合うことにしたのです。

 

編集長の英断が光りますね。
子どもは未来の大人だということを
この人は理解していたのだと思います。

 

担当した記者
(フランシス・P・チャーチ)
は書き出しの冒頭で

サンタなんかいないって言っている
あなたのお友だちは間違っている。

とはっきりと宣言します。

 

相手が子どもだからといって
論理をあいまいにしない潔さが
爽快です。

 

記者は続けて
辛口のコメントを書き連ねます。

 

なんでも疑ってかかる人(うたぐり屋)は
目に見えるものしか信じない。
うたぐり屋は心が狭い人たちだ。
心が狭い人たちはそのために
わからないことがいっぱいある!

 

そこまで言ってもいいのと思うくらいに
シビアな言葉が並べられていきます。

しかしそれらの言葉が
次第しだいに
慈愛に満ちた洞察へと転調していきます。

慈しみの雪の朝

 この世の中に、
 愛や、人へのおもいやりや
 まごころがあるのとおなじように、
 サンタクロースもたしかにいるのです。

 

でも
残念なことに
サンタクロースを実際に見た人は
いませんよね。

しかし

誰も見た人がいないからといって
サンタクロースがいないという
証明にはならないのだと記者はいいます。

 

そうして
次の不滅の言葉が紡ぎ出されます。

 

 この世界でいちばんたしかなこと、
 それは、
 子どもの目にも、おとなの目にも
 みえないものなのですから。



と・・

 

いかがでしょうか。

ところで、この言葉
どこかで聞いたこと、ありませんか?

 

そう
星の王子さまにきつねが伝えた
あの名言ー

星の王子さまときつね

 心で見ないと物事はよく見えない。
 肝心なことは
 目には見えないということだ。

(倉橋由美子・訳『星の王子さま』
 文春文庫から抜粋)

 

を連想します。

 

 

これは
ひつじかいの空想なのかもしれませんが
ニューヨ-ク・サン新聞社の
一記者が記したこの社説の言葉は
それから数十年後に書かれた
あの稀有な物語に
鮮やかに反響したのではないかと
そう思うのです。

 

このきつねの言葉を借りて
サンタクロースっているんでしょうか?
への答えを焼き直すと
こんな感じになるでしょうか。

 

心で見ないと
サンタクロースはよく見えない。
なぜって
大切なものは
目には見えないから。

 

さて

では、これからひつじかいは
目には見えない
そのサンタクロースのお話しを
書き始めることといたしましょう。


なんですって?
それは絵本なのかって?

いえいえ、違います。
それはそれは
長い長いロマンスなんです。

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