こんにちは、もりのひつじかいです。
このところ
義母(はは)の短期記憶が
急速に衰えていく感じがして
心配です。
近くにある病院の
物忘れ外来にも相談し
診察を受けているところです。
そんな折り
「歩くことは万病予防につながる」と
県内のある医師が書いていたことを
突然思い出しました。
短期記憶の衰えが病気由来でなければ
歩くことで
脳への刺激にはなるかもしれないし
もしかしたら
鍛え直すことだってできるのではないかと
ひつじかいは考えたのでした。
そこで義母を
少し長めの散策に誘ったのです。
こんなふうに1回くらい歩いた程度では
短期記憶に対する効果なんて
測定することもできないでしょうが
それでもひつじかいは
義母の表情が明るくなり
会話もスムースに進んだことで
いくらか手応えを感じたりもしました。
今回はそのときの義母とのやり取りを
童話風に綴ってみました。
お読みいただければ、うれしいです。
歩くって「見ること」でもあるんだね
梅雨入り前の空は
どこかぼんやりと霞んでいますが
天気は上々。
おかあさん
散策にでも出かけてみようよ。
そう言って
このところ家にこもりきりの義母を
外へと連れ出したのでした。
義父(ちち)は耳が遠いうえ
ちかごろ認知症が富に進行しています。
義母の日常から
会話が目減りしていることは明らかです。
そこでひつじかいは歩きながら
いっぱい話しかけてみようと
思ったのでした。
家を出ると近所の畑では
芍薬(しゃくやく)が
ちょうど見頃をむかえています。
おかあさん
「立てば芍薬、座れば牡丹
歩く姿は百合の花」
っていう言葉、知ってる?
さあ、知らないねえ・・。
ただ立っているだけでも
芍薬のようにきれいだってことかね?
そうそう、だいたいそういう意味だよ。
義母83歳。
昔は結構体格もよかったのに
今やすっかりしぼんで
ずいぶん小さくなってしまいました。
背中も少し丸くなりかけています。
先般受診した「物忘れ外来」で
5つの言葉を覚えておくようにと言われ
ひとつだけ思い出すことができた
「百合の花」が最後に出てきたので
なんだかうれしそうでした。
むらなかの幹線道路を渡り
大振りな常夜灯の脇を抜け
田んぼの方へと下って行きます。
おかあさん
今年の田植えも、もう終わったね?
そうだね・・。
昔よりずいぶん時期が早くなったねえ。
苗を植え終えたばかりの田んぼに
涼やかな風が渡ってゆきます。
ほら、見てごらん、おかあさん!
合鴨(アイガモ)だよ!
あら、本当。珍しいわね。
合鴨農法といって
鳥に田の草を食べてもらってるんだよ。
へえ~、鳥も
ただ遊んでいるわけじゃないんだね。
昨夕
酒屋から戻った義母が
「ビールを買ってきたはずなのに
どこへ置いたか思い出せない」
と言うのです。
パニックになりかけた義母を慰め
「酒屋までは行ったのか?」
と問い詰める義父を鎮め
なんとかその場を丸く納めた
そんなできごとも
すっかり忘れてしまったのか
義母は穏やかな目をして
合鴨をながめています。
ふたたび歩を進めます。
道路の脇には側溝があり
川水が流れています。
田んぼに引き入れるための用水です。
おかあさん
昔、おかあさんのところから
娘が小学校に通っていたことが
あったでしょう?
ああ、そういうこともあったね。
学校からの帰り道に突風が吹いてね
娘の帽子がこの側溝に落ちたんだよ。
友達も一緒に追いかけてくれたんだけど
結局追いつけなかったんだ。
そうそう、ここの流れは意外と早いよ。
娘のお気に入りの帽子だったから
ぼくも捜索を命ぜられてね
側溝をず~と下まで
たどって行きました。
ず~と下までたどって行ったらね
大川に出たよ。
あら、まあ。
だけど、とうとう見つからなかった・・。
そう、それは残念だったわね。
あ、バラだ!
まあ、きれいに作ってあること。
ところで
こっちの、これは、何ていう花だっけ?
義母がひっそりと咲いている
淡い色合いの花を指差しました。
残念なことに
ひつじかいはその花の名を知りません。
義母はなんとか思い出そうとしましたが
言葉が出てきません。
しばらく二人して
花の前にたたずんでいましたが
あきらめて先に進むことにしました。
蔦が巻き付いた電信柱。
なんだか
緑のトーテム・ポールみたいです。
路傍の畑には
玉ねぎが整然と植わっています。
まあ、上手ねえ!
「歩く」というのは
「見ること」でもあるのだということに
ひつじかいは今更ながら気づくのでした。
「見ること」とはつまり
脳に刺激が伝達されるということです。
思わぬ歩きの副次的効果に
すっかり魅了されていました。
五感を使って短期記憶に彩りを添える
歳降りた林檎の樹。
すごいね、この林檎
穴(うろ)に草が生えてる。
大切に大切に育てているんだわ・・。
義母が嫁いだ家は
往時は果樹栽培を生業としていました。
主には林檎と桃と。
特に林檎には思い入れがあるはず。
矮化(わいか)林檎の畑が
目の前に見えたとき
突然義母が
この畑で
摘花(てっか)のお手伝いをしたことが
あったわ!
と言いました。
え、本当?
どこのお宅の畑なの?
そう尋ねてから、しまったと思いました。
義母は真顔で思案をしています。
え~と、どこのお宅だっけ・・?
どこのお宅だっけ・・?
いいよ、いいよ、おかあさん
たいしたことじゃないから・・。
え~と、え~と、どこのお宅だっけ・・?
梅雨入り間近の里山の道。
気温は次第に上昇して
義母も少し疲れ気味。
ここらあたりで一休み
と言いたいところですが
木陰が見当たりません。
と、川の向こうに
神社の鳥居が見えてきました。
おかあさん、あれ秋葉神社だよ。
おや、そうだね。
毎年、正月二日には
弟とお詣りをすることにしているんだ。
そう、えらいわね。
あのね、あそこは
火伏せの神さまをお祀りしているんだよ。
火伏せの神様?
そう
火事なんかから守ってくれる
ありがたい神様だよ。
お使いは天狗様。
へ~、知らなかったな。
おかあさん、ずいぶん物知りだね。
ふふ、そうかい・・。
いつしか
義母がすすんで話し始めるように
なっていました。
少し歩いたことで
携帯電話に登録した電話番号を
呼び出すことができなくなっている
そんな義母の短期記憶の回路に
電流が流れ始めたのでしょうか。
散策&会話くらいで
短期記憶を鍛えることになるなんて
天から信じていたわけではありませんが
それにしてもうれしい反応です。
あらあら
こちらでも麦を作っているわ・・。
最近
麦を作る人が増えているみたいだね?
水稲ほど手間がかからないからかな?
でも、脱穀や製粉はどうするんだろう?
あのね、農協にもって行くと
小麦粉と交換してくれるのよ。
へ~、そうなの・・?
そんな仕組みになっているんだ。
道はなだらかな上りになり
ようやく木陰があらわれました。
何百何千という松蝉(まつぜみ)たちの
潮騒のような鳴き声のなかに
静かに歩み入ります。
この里山も
すっかり荒れてしまっているわね。
これも昔は畑だったんだろうね?
きっとどこかの家のおじいさんが
丹精こめて耕作していたのでしょうに。
ようやく
小公園の東屋が見えてきました。
おかあさん
ここで休むことにしましょう。
そうしましょう。
ひつじかいは持参した水筒と
ロッテのチョコパイを取り出し
義母と二人でおやつにしました。
山上から吹き下ろしてくる風が
肌に心地よく感じられます。
ふとベンチの向こう側に目をやると
ここにも新型コロナウイルス関連の
看板が・・。
感染拡大防止のため
人と人の間をあけて
遊びましょう。
おかあさん
人と人との間をあけなさいだって・・。
まあ、そういうことに
なってしまうんだろうね。
だけど、間をあけたら
遊べないわよね?
そうだね、難しいかもしれないね・・。
チョコパイを食べて
少し元気が出たところで
もうひと歩き。
川べりに
大きなニセアカシアの樹が立っています。
おかあさん
この花房食べられるって知ってた?
へ~、知らない。
食べたことない。
じゃあ少し取っていこうか。
この花には棘があるからお気をつけ。
棘?
棘なんてなかったと思うよ。
ひつじかいはそう言って
花房に近づきました。
しかし、よくよく見ると
バラのごとき鋭い棘が・・。
本当だね、お母さん
ものすごく痛そうな棘だよ。
よく覚えていたね。
それにしてもいい匂い。
これを、どうやって食べるんだい?
一番いいのはね、天ぷらだよ。
亡くなった父の好物だったんですよ。
半信半疑で花房を摘み始める義母。
ところが次第に熱中して
崖の方へと踏み込んでいきます。
あぶない、あぶないよ、おかあさん
踏み外さないように、気をつけて。
あいよ!
遠くに鉱山の山肌が見えています。
休鉱となってから
かなりの時間が経っているはずです。
畑の中に突如現れた
私設の祠をながめ
通りを下り
むらで唯一の居酒屋の脇を抜けると
間もなく義母の家。
おかあさん、おつかれさまでした。
はい、おつかれさま。
散策なんて洒落たこと
本当に何年ぶりかしら。
天ぷら、美味しかったわ
翌日
ふたたび義母の様子を見に行きました。
ニセアカシアを天ぷらにしたらどうか
というひつじかいの提案
すなわち短期記憶も
しっかり覚えていてくれたようです。
夕飯に食べたら
あっさりしていて美味しかったわ。
と破顔で報告してくれました。
たった一回の散策で
これだけの効果が現れるなんて・・・
「歩くことは万病予防につながる」
というのは
定めし本当のことなのかもしれないと
昔ながらの饒舌さを取り戻した
義母を見ながら
しばし感慨にふけりました。
おかあさん
また散策に出かけようね。
歩いていっぱい話しをしようね。
義母の短期記憶に刺激を与えたい。
これからも脳を鍛え続けてあげたい。
だってこのひとには
ずいぶんお世話になったのだもの。
いつか
この日の小さな旅を
絵本にでもできればいいな。
歩いて、見れば、心も動く。
目覚めよ
義母の短期記憶よ。
季節はもう
夏。