こんにちは、もりのひつじかいです。
あなたは
童話作家・新美南吉の『ごんぎつね』に
原作(草稿)が存在することを
ご存知でしょうか?
その原作は、公式には
『校定新美南吉全集』第10巻
大日本図書/1981
に「資料」として収録されている
という現状ですから
世間にはあまり知られていません。
でも、それは、とても残念なことです。
なぜならその原作は
一般に読まれている『ごん狐』
(ここではそれを「赤い鳥版」と
呼ぶことにします。)
とは、似て非なるものだからです。
幸いなことに
原作(草稿)を丹念に読み込み
南吉オリジナル版『ごんぎつね』として
世に問うているサイトがあります。
今回は
その「オリジナル版」の力をお借りして
「赤い鳥版」と対比しながら
ふたつの作品の相違点などについて
検証してみたいと思います。
ちなみに
南吉オリジナル版『ごんぎつね』は
立命館小学校の岩下修教諭が制作・監修
されたものであり、同校のホームページ
に掲載されています。
興味のある人は検索してみてください。
原作の題名は『権狐』(ごんぎつね)
「ごんぎつね」の原作(草稿)は
南吉が「スパルタノート」と命名した
手帳に残されていました。
原題は『権狐』。
その『権狐』は
1931年(昭和6年)10月4日に
脱稿されます。
そして直ちに雑誌「赤い鳥」に
投稿されました。
このとき、新美南吉、弱冠18歳。
童話を書き始めて、まだ4年ほどしか
経っていませんでした。
『権狐』は、すんなりと
「赤い鳥」1月号(昭和7年)に
掲載されることとなります。
ちなみに「赤い鳥」というのは
児童文学者・鈴木三重吉が主催する
童話と童謡の児童文芸誌であり
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』をはじめ
北原白秋の『からたちの花』や西條八十の
『かなりや』を掲載するなど
児童文学運動を牽引する雑誌として
存在感を示していました。
そんな権威ある雑誌に載ったわけですから
それだけでも評価すべきことですが
残念なことに
「赤い鳥」に掲載された『権狐』には
全編にわたり手が加えられていたのです。
題名も『ごん狐』と改められていました。
後世の研究者たちは、この添削は
鈴木三重吉が自ら行ったものと
考えています。
この鈴木の添削により
『ごん狐』は世間の耳目を集め
無名の青年を世に送り出すための
きっかけとなったはずです。
おそらく
作品的には成功を納めたという評価に
異論を挟む余地はないのだと思います。
でも
それって本当に「あり!」
なんでしょうか?
『権狐』はどう書き替えられたのか!
ではここで
『権狐』と『ごん狐』
原作と「赤い鳥版」の主な相違点について
読み比べていきたいと思います。
以下、岩下先生の「オリジナル版」から
該当するセンテンスを
抜粋させていただきます。
まずは物語の主人公
〈ごんぎつね〉の呼び方についてです。
「オリジナル版」では-
その頃、中山から少し離れた山の中に、権狐という狐がいました。権狐は、一人ぼっちの小さな狐で、いささぎの一ぱいしげった所に、洞を作って、その中に住んでいました。
「赤い鳥版」は-
その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐」という狐がいました。ごんは、一人ぼっちの小狐で、しだの一ぱいしげった森の中に穴をほって住んでいました。
「赤い鳥版」ではごんぎつねのことを
〈ごん〉と名前で呼んでいますが
原作(「オリジナル版」)では〈権狐〉と
物語の呼称で通しています。
「赤い鳥」が
子ども向けの雑誌であることを考えれば
〈ごん〉と気安く呼びかけた方が
主人公への親しみが高まるでしょう。
しかし、ごんぎつねは一人ぼっちの狐で
しかも悪戯ばかりしていましたから
〈ごん〉などと安気に呼ばれるような
そんな存在ではなかったはずです。
ただし、そうは言っても原作では
名前で呼ばれるところがあります。
「権、お前だったのか……。」
と・・・。
ごんぎつねは
全編を通じてこの一回だけ
「権、」と呼びかけられるのです。
「権、」に込められた作者の万感の思いを
聞き逃してはならないと思います。
続いてひつじかいが着目するのは
物語中に散見される言葉の使い方です。
主にごんぎつねの言動に関わる部分に
どうしても注意が向いてしまいます。
該当部分をまとめて
ピックアップしてみましょう。
「オリジナル版」では-
兵十は、魚籠の中へ、ごみも一緒に、そのうなぎややすを入れました。
権狐は、ふといたずら心が出て、~
権狐は、ほっとしてうなぎを首から離して、洞の入り口の、いささぎの葉の上にのせて置いて洞の中にはいりました。
権狐は、
「村に何かあるんだな。」と思いました。「それでは、死んだのは、兵十のおっ母だ。」
「あんないたずらをしなけりゃよかったなー。」
権狐は、つまんないと思いました。自分が、栗やきのこを持って行ってやるのに、~
これが「赤い鳥版」では-
兵十は、びくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみと一しょにぶちこみました。
ちょいと、いたずらがしたくなったのです。
ごんは、ほっとして、うなぎの頭をかみくだき、やっとはずして穴のそとの、草の葉の上にのせておきました。
ごんは、
「ふふん、村に何かあるんだな」と、思いました。「ははん、死んだのは兵十のおっ母だ」
ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」
ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが、栗や松たけを持っていってやるのに~
いかがでしょうか。
「赤い鳥版」では
ごんぎつねの言葉使いや所作が
少し粗っぽくなっているように
感じます。
どこか江戸の若い衆のような
いなせな感じですね。
ごんぎつねは、いつの間に
こんなに世慣れてしまったのでしょうか?
ごんぎつねは確かに
はじめは悪戯ばかりしていますが
兵十の母親の死をきっかけに
一人ぼっちとなってしまった彼に
共感を寄せる
根はやさしい純朴な狐です。
そんなきつねが
こんな言葉使いをするものでしょうか?
それから
本当に残念なことに
そして権狐は、もういたずらをしなくなりました。
の一文が、「赤い鳥版」では
あっさりカットされてしまいました。
この短い一文は
ごんぎつねの行動変容をとらえた
非常に大切な一文です。
この一文があるからこそ
共感から次第に高まっていく
ごんぎつねの「思い」が
ひしと伝わってくるのです。
物語の根幹に関わるような添削が!
ここまで検証してきましたように
鈴木三重吉の添削は
物語の随所に施されているわけですが
最後の最後に
極めつけの添削が断行されます。
「オリジナル版」では―
「おや―――――――。」
兵十は権狐に眼を落としました。
「権、お前だったのか・・・。いつも栗をくれたのは――。」
権狐は、ぐったりなったまま、うれしくなりました。兵十は、火縄銃をばったり落としました。まだ青い煙が、銃口から細く出ていました。
「赤い鳥版」では―
「おや」と兵十は、びっくりしてごんに目を落しました。
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
ごんは、ぐったり目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は火縄銃をぱたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。
いかがでしょうか?
ごんぎつねは、兵十に
自分の真意を認めてもらえたことが
虫の息の中でさえも、なお
うれしかったのです。
毎日せっせと届けた栗や薪は
共感から昇華した
愛による行為だったということが
最後に明かされることになります。
心が通じ合ったふたりに
「うなずき」は
必要だったのでしょうか?
ひつじかいはずっと昔から
新美南吉のファンですが
『ごん狐』だけはどうしたものか
好きになれませんでした。
今から思えば
あの『手ぶくろを買いに』の世界と
相容れない不協和音を
感じていたからだと思います。
ところがある日
ひつじかいは
『ごん狐』に原作があることを
知りました。
読んでみると、まさにそこには
新美南吉の世界が広がっていました。
彼の物語の登場人物たちが
生き生きと描かれていました。
『ごん狐』に
鈴木三重吉の手が入っていることを知り
これまでのひつじかいのモヤモヤは
一気に氷塊したのでした。
・・・・・・・・・・・・
南吉オリジナル版『ごんぎつね』は
無料でダウンロードできるように
ご配慮いただいております。
また、画家の室田里香さんが
「かくありなん」と思えるような
無垢で素朴なごんぎつねの挿絵を
描いてくれています。
この機会に、ぜひあなたも
原作『権狐』(南吉オリジナル版)を
お読みいただければと思います。