こんにちは、もりのひつじかいです。
新型コロナウイルス感染拡大を受けた
活動自粛の影響で
中断を余儀なくされていた絵本づくりを
再開いたしました。
この絵本はひつじかいにとりまして
記念すべき出版第一作となるわけですが
ここへ至るまでにほぼ3か月間
「漬けこんで」しまったことになります。
「今度ばかりは仕方がないよね」
と編集長さんは言ってくれましたが
ひつじかいは最近ずっと考えてきた
これからの絵本づくりについて
思い切って話してみることにしました。
確かに、中断は想定外でした。
でも
意味はあったのかなと思っています。
好むと好まざるとにかかわらず
これからのわたしたちは
ポストコロナという「新世界」で
生きていかなければなりません。
当然絵本もその影響下にあるでしょう。
あのまま一直線に
絵本の制作が進んでいたならば
ポストコロナというフェーズ
つまり、この「新たな世界観」を
制作のプロセスに反映することは
できなかったかもしれません。
図らずも3か月間漬け込んだことで
思わぬ妙味を生み出せるかもしれません。
そういう意味においても今回の中断を
前向きに受け止めています。
とまあ
こんな趣旨のことをお伝えしたわけです。
「なるほど、そういう考え方もできるね」
と編集長さんは感心してくださいました。
ひつじかいはポエムにも興味があって
亡き息子への思いを
私家版の詩集(アンソロジー)に
アレンジしたりしていますが
編集長さんは
なんとプロ?の現代詩人でもあります。
「プロの詩人」という言い方は
もしかしたら”変“かもしれません。
ただ40冊もの詩集を出版しているひと
ということをお伝えしておきたいのです。
絵本づくりの現場に
こういう方がいてくれると
なんだかほっとしますよね。
少し道草になってしまいますが
この詩人編集長さんのことについて
少し触れておきたいと思います。
『大切なことは小さな字で書いてある』
とは
ひつじかいが
編集長さんからいただいた最新詩集の
表題です。
おっと
一番肝心なことを忘れていました。
詩人の名前は谷郁雄さん。
1955年三重県生まれ。
90年に『死の色も少しだけ』で
詩人デビュー。
93年『マンハッタンの夕焼け』が
小説家の辻邦生の目にとまり
第3回ドゥマゴ文学賞の最終候補に。
云々
(同詩集のプロフィールより抜粋)
詩人歴は30年を超えるベテランです。
『自分にふさわしい場所』
『日々はそれでも輝いて』
『無用のかがやき』
『バンドは旅するその先へ』
など数々の詩集を上梓されておられます。
初めてお会いしたときに
吉本ばななさんとの共著『バナナタニ園』
を購入しましたら
『大切なことは~』の詩集を
贈呈くださいましたので
家に帰ってさっそく扉を開いてみました。
そこには
たとえて言うならば
子どものころに大切にしていた
おもちゃ箱と
何十年ぶりかで再会したときのような
ほのぼのとした郷愁が
ただよっているのでした。
こういうの、いいなあ。
これまさに、詩だよね。(失礼な!)
うんうん、わかるよわかる。
そうだね、そうだよ。
・・・。
などとひりごちながら
33の詩片(ノスタルジーのかけら)を
一息に読み終えたのでありました。
人生とは?
人生とは?
その問いに対する
答えを
一人ひとりが
日々を生きることで
見つけようとしているぼくらは
それぞれ
形のちがう巣を
作ろうとしている
クモなのかもしれないどんな巣を
作ればいいのか
知らないから
こんなにも
いろいろな巣が
出来あがるそれぞれ
どこか
いびつだが
朝の光に
美しく輝くといい
谷郁雄著
『大切なことは小さな字で書いてある』
2019年1月初版/ポエムピース
詩集『大切なことは小さな字で書いてある』
から「クモ」をご紹介しました。
いかがでしょうか?
短いフレーズの中に
輝くような人生の断片を
見事に切り取っていますよね。
こんな素敵な詩を書けるひとと
いっしょに仕事ができることに
感謝したいと思います。
やっぱり編集長は詩人ですから
絵本の打ち合わせが一段落すると
突然話題が
ひつじかいの私家版アンソロジー
『君のいない朝』に向けられました。
「あなたの詩集、読ませてもらいました」
「そ、そうですか・・。
お恥ずかしい限りです・・・。」
(いやぁ-、どうしよう。
プロの詩人が読んでくれたんだ!
穴でもあったら入りたいな・・。)
「詩としてまとまっていると思います」
(えっ?)
「あなたと
同じような体験をされている方は
世間に大勢いらっしゃるでしょうが
それを
詩というかたちで伝えられるひとは
そんなに多くはいないでしょう。
また、そういう方々が書いたものは
得てして感情の吐露に終始してしまう
というのが普通です。
ところがあなたのアンソロジーは
詩というスタイルを呈しています。
感情を抑制し独立した詩として
ちゃんと成り立っていますね」
「そ、そうですか
ありがとうございます。
そんなふうに言っていただけると
光栄です」
「詩集として出版されても
いいんじゃないですか?」
「え? 詩集、として、ですか?
大丈夫でしょうか・・?」
「大丈夫ですよ。出す価値はありますよ。
絵本が完成したら
次は詩集でいきませんか。
検討してみてください」
「わ、わかりました
検討させていただきます」
「息子さんの供養にも、なると思うので」
・・・・・・。
まさかここで
供養という言葉を聞こうとは
思ってもいませんでした。
そうか供養か・・・。
息子がこの世に存在したという
その証しを残してやろうと
書きとめたアンソロジーでしたから
供養というようなことは
考えてもいなかったのです。
でも
証しであろうが供養であろうが
詩集として出版できそうな道が
拓けたということは大きな喜びです。
帰りの電車は務め帰りのひとたちで
混雑していました。
新型コロナウイルスはいまだに
ひとからひとへの感染を続けています。
このコンパートメントのどこかにも
ウイルスは潜んでいるかもしれない・・
そんな怖れを感じ
ひつじかいは深海魚よろしく
ひっそりと「えら呼吸」を続けながら
それでも座席が空くと
素早く腰を降ろし
Webに収納してある『君のいない朝』を
そっと開いてみるのでした。
思い返せばはじめのころに
絵本出版社の担当者さんが
ひつじかいの可能性を
様々な角度から見極めたいから
恥ずかしからずに
落選した作品も含めて
全てを見せて欲しい。
と言ってくれていたことを
思い出しました。
その言葉に従い
『君のいない朝』も
提出してあったのでした。
絵本づくりの再開は
同時に詩集(アンソロジー)と向かい合う
そんなタイミングにもなりました。
絵本の次は詩集を出版したいなと
夢はふくらむ一方です。
ただ・・・
詩集の出版というのは
お金がかかるもんだと聞いています。
そうだとするならば
ひつじかいの持ち出しは
いったいどれくらいになるのでしょうか?
それによってはこの出版のお話し
しばらく「漬け込む」ことに
なってしまうかもしれません。
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