クライマックスを明快に示唆!倉橋由美子翻訳の『星の王子さま』

星の王子さまとひつじ 童話・ファンタジーほか
王子さまはインナーチャイルド?

こんにちは、もりのひつじかいです。

これまでにひつじかいは
3人の翻訳者の手になる
『星の王子さま』を読んできました。

↓くわしくは、こちらをご覧ください。

翻訳者によってこんなに変わる~
 

3人の翻訳者というのは

・内藤濯(あろう)氏(岩波書店)
・河野万里子氏(新潮文庫)
・菅啓次郎氏(角川文庫)

の3氏です。

これらの翻訳作品は三者三様
それぞれに優れた特徴があり
いずれも名訳であるとお伝えしています。

3氏はいずれも
翻訳者としての立場を見極め
原作者であるサン=テグジュペリの
「世界観」を忠実に再現しています。

3氏に限らず
他の翻訳者もこの基本事項については
当然のことながら
3氏と同様の態度で臨んでいます。

ところが
そういうセオリーをものともせず
独自の視点をもってこの物語に挑んだ
稀有な作品があるのです。

それが小説家・倉橋由美子さんが翻訳した
『星の王子さま』(文春文庫)です。

倉橋由美子訳『星の王子さま』

じつは『星の王子さま』という物語は
そのクライマックス-

(王子さまが「木が倒れるように」
倒れる、あの衝撃的な場面)に関し

意外やいがい
判然としないことがあるのです。

*いったい王子さまに何がおきたのか? 

*王子さまはどうなってしまったのか? 

*もしも死んでしまったというのなら
 なぜ王子さまの亡骸(なきがら)が
 砂漠に遺されていないのか?

という素朴な疑問が、いまも謎として・・

 

先ほども言いましたが
いずれの翻訳者も
皆原文に忠実に訳しています。
忠実に訳してはいるのですが
原文に忠実であればあるほど
この部分はなぜか
「ぼんやりとしてしまう」
という傾向があるのです。

ではいったい
倉橋由美子さんはどんなふうに
この部分を訳されたのでしょうか?

星の王子さまのファンとしましては
とても気になるところです。

ということで今回は
『星の王子さま』翻訳をめぐる
少しニッチなお話しを
くわしくお伝えしていきたいと思います。

どうぞお見逃しなく!

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「星の王子さま」翻訳に当たっての決意!

倉橋由美子さんは
本業の小説はもちろんのこと
翻訳という仕事においても
「納得できなければ着手はしない」
という厳しい一面を持ち合わせていたと
伝えられています。

※詳しくは本書の「解説」を
 ご参照ください。

『星の王子さま』について言えば
どうしてもクライマックスが
腑に落ちなかったのだとか。

*王子さまが死んでしまった
 というのなら
 なぜ、その亡骸(なきがら)が
 砂漠に遺されていないのか?

という3つめの疑問に
すんなり答えられなかった倉橋さんは
翻訳のオファーを
一度はキャンセルしようとさえ考えます。

けれども、さまざまな文献に当たり
あれこれ思い悩んだ末に
彼女はこのクライマックス
といいますか
『星の王子さま』という物語そのものを
解釈し直したのでした。

「星の王子さま」とは誰あろう
砂漠に不時着した飛行機乗りの
インナーチャイルドである!

と考えたのです。

星の王子さまの気球


このお話しは飛行機乗りと
飛行機乗りのなかの幼いわたし
インナーチャイルドとして具象化された
「小さな王子」との
出会いと別れの物語なのだ、と。

命の危機にさらされた飛行機乗りは
彼を救出すべく現れた
「小さな王子」との交流を通し
心の成長を遂げ
見事にその危機を脱するのだったが

インナーチャイルドである
「小さな王子」は
そのエッセンシャルである
飛行機乗りに統合され
砂漠の上から
この世界から
永遠に姿を消したのだと・・・

 

倉橋由美子さんは
『星の王子さま』という翻訳の
定説(境界)を大きく踏み越え
「星の王子さま」とは
飛行機乗りのインナーチャイルドだ
という強い決意を胸に
この物語の翻訳に挑んだのでした。

倉橋由美子さんが訳文に施した工夫とは

飛行機乗りのなかのわたし
インナーチャイルドである
「小さな王子」を
飛行機乗りに統合させるとなると
砂の上に「木が倒れるように」倒れた
あの小さな亡骸を
この世界から消し去る必要があります。

そのためには「そこで何が起きたのか」
ということを明確に示唆しておくことが
不可欠であったのです。

もちろん、物語の世界観を損なうことは
許されませんので
とても難しい作業になるだろうと
思われました。

倉橋さんが選択した方法は
「星の王子さま」の死
つまり、この世界からの消滅を

〈読者に濃厚にイメージさせる〉

というレトリックを
自在に駆使することでした。

『星の王子さま』という物語の随所に
王子さまの死(消滅)を連想させる言葉を
さり気なく配置したのです。

実際の物語で倉橋由美子さんの布石を確認

では具体的に、倉橋さんは
どのような言葉を積み上げたのか
他の翻訳本との比較をとおして
確認していきたいと思います。

使用するテキストは
冒頭でお伝えした3冊のなかから

『星の王子さま』
(菅啓次郎訳/角川文庫)と

『星の王子さま』
(河野万里子訳/新潮文庫)

の2冊を選びます。
この2冊と
倉橋由美子さん翻訳の『星の王子さま』
とを対比させていきます。

以下、引用させていただく訳文は
それぞれの出版社名の頭文字をとって

角川文庫版・・・角
新潮文庫版・・・新
文春文庫版・・・文

とします。

まずは星の王子さまが
人の命を30秒で奪う黄色い蛇と出会い
いざというときには力になれると
暗にほのめかされるシーンから。

角:触れる相手を、そいつが生まれてき
 た土へと還してやることができるのさ。

 (P94から抜粋) 

新:おれは、触れたものをみな、元いた
 土に帰してやる。(P89から抜粋) 

文:誰でもおれが触ったものを、
 そいつのやってきた土地に送り返して
 やることができるんだ。(P94から抜粋)

 

倉橋さんの訳だけが
触れたものを「土」にかえすのではなく
やってきた「土地」に送り返すと
いっています。

「土地」と訳すことで
「土」という具象的なものから
場所的、抽象的なものまで
その意味する範囲を広げることが
可能になります。

つまり、黄色い蛇は
インナーチャイルドである
「小さな王子」に向かって
おまえがやってきた土地(場所)である
潜在意識の世界へだって
送り返してやることができるよと
豪語していることになるわけです。

続いて
せっかく仲良しになった狐との
お別れのシーンから。

夕日を見つめる星の王子さまときつね

角:こうして、ちび王子はきつねを
  なつかせたのだった。
  やがて出発の時が近づいて~
  (P113から抜粋) 

新:こうして小さな王子さまは、
  キツネをなつかせた。
  だが、出発のときが迫っていた。
  (P106から抜粋)

文:王子さまはこんなふうにして
  狐と仲良しになった。
  だが別れのときが近づいてきた。
  (P111から抜粋)

倉橋さんの訳だけが「別れ」という言葉を
チョイスしています。
王子さまはどこかに旅立つのではなく
成長したわたし(飛行機乗り)と
決別するときが近づいているという
予見が、暗示されているのです。

続くポイントも
かなり重要な視点を浮かび上がらせます。

角:おれもさ、今日、家に帰るよ・・・。
  (中略)
  何か驚くべきことが
  起きようとしているのだと、
  ぼくにはよく感じられた。
  (P136から抜粋)

新:ぼくも、きょう、家に帰るんだ・・
  (中略)
  なにかとんでもないことが
  起きようとしているのを感じた。
 (P129から抜粋)

文:ぼくも今日、家に帰るんだ。
  (中略)
  何かとんでもないことが
  起こっているのを感じた。
  (P136から抜粋)

ここは、一見しただけでは
黙って素通りしてしまいそうな
目立たない箇所ですが
統合に向けた「とんでもない」変化
=消滅というプロセスは
もうすでに進行しつつあるのだと
倉橋さんの訳は主張しています。

死(消滅)という
目に見えるビッグイベントだけが
死(消滅)ではないという
彼女の信念をあぶり出していきます。

そうして物語は
いよいよクライマックスへ。

角:彼のくるぶしのところで
  黄色い稲妻がきらめいた。
  (P146から抜粋) 

新:王子さまの足首のあたりに、
  ぴかっと黄色い光が走った。
  (P139から抜粋)

角:王子さまの踵のあたりを襲ったのは
  まさに黄色い閃光だった。
  (P146から抜粋)
 

ポイントは・・・

「黄色い稲妻」
「黄色い光」
「黄色い閃光」

が、何に起因するものなのか?

という点が示唆されているのかどうか
ということだと思います。

角川文庫版と新潮文庫版とでは
黄色い光の由来を明確に説明するのは
難しいかもしれません。
それだと倉橋さんの翻訳では「使えない」
ということになってしまいます。

なぜなら

インナーチャイルドである
「星の王子さま」の死=消滅=統合を
ここで明らかにしなければ
ならないからです。

そこで倉橋さんは
次の言葉をあえて補います。

「襲ったのは」
「まさに」

というふたつの言葉です。

星の王子さまを「襲ったのは」
ほかでもない
以前王子さまと話しをしていた
三十秒で人の命を奪うという
「まさに」あの黄色い閃光=蛇
だったんですよというわけです。

つまり
星の王子さまは
確実に昇天してしまったんだと
読者に念を押しているのです。

『星の王子さま』=インナーチャイルド説を振り返って

読者の皆さんには残酷かもしれませんが
星の王子さまは絶命しました。
でも悲しまないでください。
王子さまは
飛行機乗りであるわたしのなかに
「送り返された」だけなのです。

だからいつまでも
王子さまの亡骸を
探さないでください。

王子さまは
わたしのなかで
いまも元気に生き続けていますから・・。

塀に腰掛ける星の王子さま

小説家・倉橋由美子が翻訳した
『星の王子さま』
いかがだったでしょうか?

王子さま絶命のプロセスが
初めて分かったという人も
いらっしゃるのではないでしょうか。

さすがは小説家だけに
訳文は練り上げられています。
倉橋由美子という作家が書いた
オリジナルの小説のような印象さえ
受けてしまいます。

名訳のひとつであることに
異論はないでしょうね。

でも
しかし
それでも
なお

ひつじかいは
星の王子さまが
あの小さな星に
帰っていったのだと
思いたいのです。

その星で
王子さまは
連れ帰った羊らと
仲良く暮らしているのだと
思いたいのです。

もちろん
4つのトゲを持つ
一輪の花ともね。

星の王子さま=インナーチャイルド説は
確かに説得力のある仮説です。
けれどもひつじかいは
星の王子さまが自分の星に帰った
ということと
「古い貝殻みたいな体」が
どこにもみつからなかったということを
ふたつ同時に受け入れたいと思うのです。
黙って受け入れたいと思うのです。

そうして
夜空を見上げながら
星の王子さまの小さな星を
さがしてみたいのです。

星の王子さまと
あの永遠の孤独を
静かに分かち合いたいのです。

倉橋由美子さんが翻訳にチャレンジした
『星の王子さま』を読んで
そんな気持ちがますます強くなりました。

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