絵本『よるくま』の超あらすじ&レトリックを解説!

絵本よるくまのあらすじ 絵本おすすめの1冊
ぼく、よるくまだって?

こんにちは、もりのひつじかいです。

今回は
ひつじかいの大好きな絵本の
あらすじを追いながら
注目すべきレトリック(仕掛け)の数々を
解説していきたいと思います。

本日のテキストは

よるくま

『よるくま』
(作・絵 酒井駒子/偕成社)です。

この絵本の魅力をお伝えする前に
まずは超あらすじと
「絵本的なレトリック」について
確認してみることにしましょう。

そして、それらを踏まえたうえで
この絵本の魅力について
少し掘り下げてみたいと思います。

「絵本のレトリック」
というものに関心がおありのひとは
どうぞ、おつきあいくださいませ。

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『よるくま』のあらすじ&レトリックとは?

不思議なお話しなのに、それを
全く不思議と感じさせないこの絵本には
そのためのレトリックが
いくつも施されているのではないかと
ひつじかいは考えています。

くまのぬいぐるみ

絵本『よるくま』の超あらすじを
たどりながら
それらを順番に拾い出してみましょう。


*タイトル

→【よるくま】というのは
「夜中に出歩く
夜のように黒い子ぐまのあだ名」ですね。
これは作者の「造語」です。

胸に光る「お月さま」のかたちから
おそらくは
ツキノワグマの子どもかと思われますが
【よるくま】
というあだ名をもらったことで
物語は冒頭から
「夢想的な薫り」を香らせ始めます。

もう、ここから、レトリックの仕込みが
始まっているんですね。

 

*母子の語らい

→物語は最初から最後まで
「母と幼子の語らい」というかたちで
進行します。

眠りにおちる前の幼子の語りであり
その語りの真偽は判定されることなく
幼子の夢の中へと引き継がれていきます。

この一連のなめらかな進行により
物語は幼子の夢を超えて
ある種のリアリティを漂わせ始めます。

この「語りの真偽を判定しない」という
レトリックによって
物語は多層的世界(パラレルワールド)へ
軽々と変転することができるわけです。

 

*「よるくま」というお伽噺の世界へ

→一旦リアリティが確立してしまえば
あとはしめたもの
何をどう料理しようが
すべては「よるくま」というお伽噺に
収斂されていきます。

お伽噺は
真偽の判定という次元を超えたもの。

だから、途中で母くまが登場しても
語り手がいつの間にか母から母くまに
交代していても
読者はすんなりと、それらの全てを
受け入れることができるのです。

夜の星に照らされた母グマはお魚をつる

しかも母くまは、しずかな夜の天空で
お魚を釣ったり、野を駆けたりしながら
お伽噺のリアリティを補強していきます。

(これは、絵画的なレトリックですね。)

 

*お伽噺から「母の手」へ

→お伽噺として確立した物語に対し
さいごのレトリックが施されます。
語り手を母くまから母に引き継ぐのです。

こうして
物語は御伽話から母の元へと返されます。

幼子は「母の手」を感じながら
安心して
楽しい夢の世界へと降りていくのでした。

めでたし、めでたし。

あらためて『よるくま』の魅力とは

レトリックのお話しだけで
あらすじを割愛したとしても
この絵本の魅力の半分は語ったことに
なってしまうでしょうね。

じゃあ、残りの半分はな~に?
ということなんですが
レトリックのところでも書いた
「お伽噺」的な語りという点に
大きなポイントがあるように思います。

特に母くまの描き方が秀逸なんですね。

母くまはパラレルな世界を
自在に行き来することができます。

 お伽噺のなかのくまなんだから
 当然でしょう!

と言われてしまえば
それまでなんですが・・・。(汗)

夜の、静謐な、星空(天空)が
彼女の仕事場です。

そこで彼女はひとり、月明かりを頼りに
お魚を釣っているのです。
息子に自転車を買ってあげるために。

なんて孤独で、またなんて夢のある
お仕事なんでしょうか。
それに、その母の愛の
なんという深さとあたたかさでしょうか。

うまく言葉では言い表わせませんが
ひつじかいは
この、母くまの愛に胸をうたれるのです。

赤ちゃんの手

母の愛を描いたこんな素敵なお伽噺を
ほかには知りません。

ひつじかいも
いつかこんな素敵なファンタジーを
さらりと描けるようになりたいと
願っています。

母の愛
それをあなたなら
どんなふうに描きますか?

 

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