こんにちは、もりのひつじかいです。
ず~と昔、20代のころのこと。
ひつじかいは
旅に出ることをただ一つの目的に
西に東に車を走らせていました。
そんな旅を続けながら
日本各地の
さまざまな風景を見つめてきました。
目的地を想定しない旅ですから
道々の風景が目のご馳走となり
出会いや体験が
心の栄養となるのでした。
結婚して、子どもができると
そういう旅はできなくなっていきました。
でも大丈夫
そんな旅の気分を味わうことができる
すてきな絵本があるんです。
過ぎゆく人もまた旅人なり
『旅の絵本』
安野光雅著/福音館書店/1977年発行
字のない絵本です。
だから子どもでも楽しめます。
でも、大人だからこそはまる!
純真な遊び心が満載。
絵本の随所に散りばめられた
隠れた物語を見つけ出すことも
『旅の絵本』の醍醐味のひとつです。
ちなみに
ひつじかいの蔵書は
1987年・第27刷版です。
この時点で27刷ということですから
現在は更に増刷されているはずです。
「月日は百代の過客にして~」と書いた
松尾芭蕉の時代から
日本人はやはり旅好きなんですね。
では、さっそく
安野光雅ワールドへの扉
『旅の絵本』の表紙を
開けてみることにしましょう。
『旅の絵本』をざっくり・・・
-どこからとも知れず
小舟でやってきた男(旅人)が一人。
-〈見開き2〉で
早々に鞍付きの馬を手に入れると・・
-古い、ヨーロッパらしき風景のなかを
その馬に乗りポクポクと旅を続けて・・
-森を抜け・・
-収穫中のぶどう畑の脇を通り・・
-古い教会の門前を横切り・・
-学校の近くで子どもたちの歓声を聞き
徒競走の子どもたちに声援を送る。
※旅の途中で馬から降りたのは
このとき、ただ一度きり!
-絵画の一幅のような情景の中へと
駒は進み・・
※この場面には
有名な絵画の一場面が
コラージュされています。
あなたはいくつ見つけられますか?
ひつじかいは3つ分かりましたよ。
ジョルジュ・スーラの
『グランド・ジャット島の日曜日の午後』
と『アニエールの水浴』。
ヴィンセント・ファン・ゴッホの
『アルルの跳ね橋』。
ただし、ここに描かれた跳ね橋は
よく知られた馬車ではなく
日傘の女性(シルエット)が渡る
ヴァルラフ・リヒャルツ美術館蔵の
マイナーバージョンの方です。
-やがて旅人は大きな町へ差し掛ります。
-そこではマーケットが立ち・・
-サーカスが開かれています。
-そうして
なにやら楽しげなカーニバルも。
-古い時代の話かと思いきや
おもむろに蒸気機関車が現れ・・
-旅の絵本は再び
牧歌的な田舎町へと進んでいきます。
※あ、ブレーメンの音楽隊がいる!
-『ドン・キホーテ』『大きなかぶ』
『赤ずきん』『イソップ童話』などの
ワンシーンを写して・・
-最後はミレーの絵画
『落ち穂拾い』『羊飼いの少女』
『晩鐘』などのモチーフが広がる
夕景なかを
駒を捨てて歩み去る旅人の後ろ姿が
丘の稜線に消えていくのでした。
画家・安野光雅さんの視点
字のない絵本『旅の絵本』が
ひつじかいの郷愁、
ノスタルジーをそそる理由のひとつに
画家・安野光雅さんの視点があることは
まちがいないと思います。
彼は図らずも
今日でいうところのドローン的視点から
すべてのページを描いています。
高からず低からずという
このドローン的な視点は
絵に広がりを与えるとともに
人々の暮らしの様々なシーンを
綿密に写し取っていきます。
同じひとつの情景のなかに
いろいろな場面が同居しています。
もちろん
先にお伝えした先行作品のパロディも!
それがこの絵本に
深みと寓意を与えています。
旅の妙味をかきたててくれます。
じつはこの寓意こそが
『旅の絵本』の雄弁な語り手なのです。
字のない絵本となった理由が
ここにあるのだと思います。
ひつじかい的旅の絵本
この絵本に触発されて
ひつじかいは日本の各地を旅しました。
残念ながら馬には乗れないので
車で・・・。
家族持ちとなった今日では
とてもこんな芸当はできませんが
当時は北へ向かうときも
南に向かうときも
その日の宿を決めていませんでした。
風の吹くまま気の向くまま
だいたい午後の3時ころまでひた走り
そこで本日の投宿地を予測します。
そうしてガイドブックなどから
めぼしい宿をピックアップし
電話で予約を入れておくのです。
この
「電話で予約を入れておく」
というところがミソなんですね。
いきなり旅館やホテルの戸を叩かない
というのが肝要なんです。
これで先方の警戒心が氷解するのです。
しかし、今やウイズコロナの時代ですから
わざわざこんなことをしなくとも
いつでもウェルカムなのかもしれませんし
宿泊予約サイトには
当日割なども登場していますので
電話作戦というのは過去の話しですね。
でも
ビジネスホテルのない田舎町では
まだまだ使える手かもしれません。
ひつじかいはこの方法で
全国津々浦々
宿泊を断られたことは一度もありません。
豪華な夕食に間に合ったことも
数しれず。
広い二間続きの客室に
通されたこともあります。
道々で出会った風景や
数々のアクシデント。
当時は便利なナビなどもなく
道を尋ねることもしばしば。
しかし
言葉の意味が分からず
若い人をつかまえて聴き直すことも
しばしば。
そうしたハプニングも
今では懐かしい思い出のひとつです。
大人のひとり旅は
字のない絵本
というわけにはいきませんが
それでも、相当に寡黙ですね。
だからいろいろなことを
覚えていられるのだと思います。
安野光雅さんの『旅の絵本』が雄弁なのも
字(言葉)がないからだと思うのです。
おしゃべりをしているうちに
旅のエッセンスは
素通りしていってしまうのでしょう。
安野光雅さんにならって
あなたのこれまでの旅を
私家版の絵本に仕立ててみるのも
いいかもしれません。
もちろん
字のない絵本で。
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