息子を先に「おくる」ということ・・詩集『君のいない朝』から

息子を先におくるということ。 詩・ポエム
おくりびとの時間が・・

こんにちは、もりのひつじかいです。

 

今日は
ここまで2回にわたりお伝えしてきた
ぼくのオリジナル詩集
『君のいない朝』から
引き続きご紹介していきます。

 

前々回の記事は
こちらからご確認いただけます。

前回の記事は
こちらからどうぞ。

 

今回お伝えするのは
「極楽湯灌」(ごくらくゆかん)
「青いバナナ」
「終わったひと」
の3編です。

 

 

突然息子を喪ったぼくには
目の前で起きている全てのことに
実感がともないません。

 

湯灌を見つめ
お供えのバナナを見つめ
もぬけの空となった自分自身を
見つめ続けます。

 

握ったエンピツの
その感覚だけを頼りに
見たもの聞こえたものその他の有象無象を
書きとめていきました。

 

これはそのときどきの
ぼくの心に映った風景です。

 

おくりびとの時間

息子には湯灌をしてやらねば。
ぼくは、そう決心しました。

父のときには割愛してしまったけど・・。

 

これはあとで知りましたが
葬式の一連の儀式の中でも
湯灌は一等重要な作法なのだそうです。

 

とにかく息子を清めてやりたい。
この世の垢(あか)をすべて落として
あの世に旅立たせてやりたいと
そればかりを考えていました。

 

葬儀社が手配した納棺師は
女性でした。
あとで知らされましたが
映画『おくりびと』で
技術指導をされた方でした。

 

場数を踏んだ納棺師ですから
息子の様子をひと目見るなり
すべてを理解されたようでした。

 

静かに横たわる息子と
その息子を手際よく清めていく納棺師。
そして
それを見つめ続ける我らが家族。

 

静謐な時間が流れていきました。

少しずつでしたが
息子に血色がもどりはじめ
息子はゆったりと
まどろんでいるかのように見えました。

 

今にも息子は目を開いて
ふぁーと大きく
伸びをするのではないかと
ひつじかいはどきどきしながら
そのときを見守り続けました。

 

息子が
長く厳しい懊悩から解き放たれた
信徒のように感じられたのも
事実です。

 

息子の様子は
なんだか極楽にいるようにさえ
見えたものです。

 

ほんとうに
いま
目を開けそうな様子でしたが
その目が開くことは
ありませんでした。

 

この湯灌は
息子にとって
最後の湯浴みとなったのでした。

 

 

ツリー 極楽湯灌

 

君のからだが清められていく

湯灌が始まったのだ

 

簡便な

だが機能的な浅い浴槽のわきに

ぼくらは一列に正座して

ことの成り行きを見守っている

 

仏はあまりにも若く

喉仏には隠しおおせぬ痣がある

さしもの納棺師の眼尻にも

光るものが浮かんだ

 

胸をこすられ腹をこすられ

ゆらゆらと君のからだはゆれる

しずかに目を閉じた君は

おだやかな顔で

極楽極楽とうなずく

 

髪にシャンプー液が注がれた

細く強靭な指が

君の髪に差し込まれる

きゅっきゅっと髪を洗われながら

君は

気持ちよさそうにまどろんでいる

 

長い懊悩から解き放たれた

清教徒(ピューリタン)のように

厳かに瞑目したまま

極楽極楽と

君のからだがゆれる

 

頭がゆれる

髪がゆれる

頬がゆれる

 

そうして魂が

揺れる

 

シャワーのあとで

濡れた髪にドライヤーが当てられ

湯灌は終わった

 

君は上気した顔で

おだやかに眠っている

覚めることのない眠りを

眠っている

極楽極楽と

眠っている

 

ぼくらは正座をしたまま

君の極楽から目を逸らすことができない

あまりにも手近にある極楽に

ぼくらはすこし戸惑っている

 

 

あかし

お供えした食物の味が変わるのは
「亡くなったひとが食べるから」
という話しを
どこかで聞いたことがあります。

 

息子の霊前に供えたバナナを見ていたら
それは本当だと思うようになりました。

葬儀は3月の上旬でしたから
暖房をしても仏間は寒いのです。
そういう環境であれば
青いバナナは
しばらくはその青みを保ち続けるはず。

ところがどうしたことか
ほかにも果物はお供えしている
というのに
バナナだけが
熟れてしまうのです。

 

ああ
これにはきっと
わけがあるんだろうなと
ぼくは思いました。

青いバナナというのがミソだったのです。

 

青いバナナは
息子が選んで食べていた
数少ない果物のひとつでした。

 

赤でも青でも黄色でも何でもよい
とにかく息子に繋がれるものであるなら
じゃんじゃんお供えをしてあげよう。
霊前をにぎやかにしてあげようと
毎日そんなことばかり考えていました。

 

そんなことを考えていれば
他のことを考えなくてもすむと
無意識のうちに
思慮していたのかもしれません。

 

息子は
完全に消滅してしまったわけではなく
彼の魂魄(こんぱく)は
確かに存在していて
こうやって
青いバナナを食べにきているのだと
思いました。

 

妻がいうように
あっという間に色が変わるのが
その何よりの「あかし」ではないかと
胸のうちで反芻したものです。

 

 

あれから1年半。
ぼくは今でも
青いバナナを買い続けています。

 

さすがに
毎日お供えはしませんが
今やこれはぼくにとっての
〈青の儀式〉となりつつあります。

 

 

ツリー 青いバナナ

 

霊前に供えたバナナが

あっという間に変色してゆく

すると妻は

あの子が食べたあかしだといった

 

バナナが大好物というわけではない

黄色いやつより

青いほうが好きというていど

それでも

と妻はいう

 

 執着のすくない子だったから

 好きというのは特別なこと

 

  なあなあなあなあなあ

  なあああああああああ!

 

おまえが食べると

色が変わるというのなら

どんどんたべてくれ

どんどんたべてくれ

どんどんたべて

はげしく色を変えてくれ

 

おれはよろこんで

あたらしいバナナをお供えするからよ

それもとびっきりの

青いやつをよ

まいにちまいにち

お供えするからよ

 

おまえに

 

  なあなあなあなあなあ

 

 

悔悟自責寂寥卑下

慟哭と鎮静という両極端の波が
交互に打ち寄せてきます。
混乱と冷静な時間とが
入り乱れます。

 

息子に先立たれ
空っぽになったお前など
「もう終わったひとも同然だ」と
自分に向かって激しく言い募る日々が
続きました。

 

悔悟と自責と寂寥と卑下とにまみれ
自己問答は再現もなく続いていきます。

 

と、そんな中で
息子もぼくも
ともに花火が好きだったことを
思い出したのでした。

 

そんな花火を
ひょっとすれば息子がいるかもしれない
銀河に向けて
クールに打ち上げられれば
どんなに素晴らしいことでしょう。

 

しかし
次の瞬間にはネガティブなマインドが
むくむくと頭をもたげ
心に重畳と折り重なってくるのです。

 

これは
そんな混乱を
混乱のままに再現した一遍です。

読みづらい点はひらにご容赦願います。

 

 

ツリー 終わったひと

 

終わったひとだって?だれのことかな。

小説のタイトル?

いいえ、あなたのこと。

おれの?

ええ。

おれの、こと?

そうよ。

 

ないているのわらっているの

はずかしいのねかなしいの。

 

終わったひとだって?

なにを食べるのきょうから

うどんたどん弁当コロッケ

あのさ・・・

ほうってはおけないわ。

あのさ・・・

なあに。

おれさ・・・

わらってる?

 

バカ、息子が死んでわらうやつがあるか。

れんこんがすきだったわね。

だれが。

あなたが。

息子が死んだんだよ。

知っているわ。

 

ストーブは点いたままだった。

アイフォンも・・・充電中!

ええ、なにもかも。

そう、なにもかも。鴨居にロープを-

やめて!

なぜ!

充電中!

 

突然なんだ。 

突然 

中断 

花火が。

花火が-

 

もう、いいんだ。

気になるわ。

花火が、すきだった、手持ち花火がね。

 

終わったひとだって?

ほら、まだいきているのに。

ないているの。

いいや。

わらっているの。

いいや。

どっちなの。

花火だよ、コロッケ。

そう、花火なのね。

ああ、銀河をクロスする花火さ。

銀河をクロスする流星(花火)さ

すてきね。

ああ、そうさ。細いロープだった。

やめて。

手塩にかけたんだ。手塩にかけすぎた。

 

おれは何も知らずに昼飯をくっていた。

そうね。

彼とはうまく話せなかった。

なぜ? 

あいつは朝飯を食べていなかった。

そうね。

 

終わったひとだって?

そういうことにしておきましょう。

終わったひとだって?

そうよ。

 

わかった。

とにかくこの花火を、

打ち上げさせてくれ。

 

 

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